プロフィール
| 本名 | Maurice Joseph Micklewhite Jr. |
|---|---|
| 生年月日 | 1933年3月14日 |
| 出身地 | イギリス・ロンドン |
| カテゴリ | 俳優 |
| デビュー | 1956年(映画「A Hill in Korea」) |
ぼそりと呟くような台詞回し、瞬きしない視線、ジョークの後の僅かな間。マイケル・ケインの演技は、過剰さの正反対にある。スター俳優でありながら、彼が自分を語るときに使う言葉は「熟練した職人」だった。「才能ある芸術家」という言い方を、彼は自分には当てはめない。Senses of Cinemaでウィーラー・ウィンストン・ディクソンも、彼の本質を「才能ではなく熟練した職業性」と評している。彼が自分で書いた映画演技の教則本と、60年で130本を超える出演を支えた割り切りの戦略が、この「職人」の中身にあたる。
— 01魚市場の息子とコックニー — 訛りを武器にした出発
本名モーリス・ジョセフ・ミクルホワイト・ジュニア。1933年、ロンドンの労働者階級の家庭に生まれた。父はビリングスゲート魚市場の荷役、母は賄い婦と雑役婦で、戦後は政府支給の仮設住宅(prefab)に、一時的なはずが結局18年住んだ。朝鮮戦争に従軍し実戦で死を覚悟した経験が、その後の人格を決定づけたとBritannicaは記す。
芸名の由来には具体的な逸話がある。TIMEが伝えるところでは、1954年のロンドン進出時、既存の俳優マイケル・スコットとの名前重複を代理店に指摘され、電話ボックスから急いで別名を探した。目に入ったのが、当時上映中だった映画「ケイン号の叛乱(The Caine Mutiny)」の看板だった。「反対側を見ていたら、マイケル・101匹わんちゃんになっていた」と彼は冗談めかして語っている。
ブレイク作「ズール戦争」(1964)は、彼の出自を逆転させる形で訪れた。当初はコックニーの兵卒役(ヘンリー・フック二等兵)のオーディションに来たが、その役は既に埋まっていた。帰りかけたところを呼び止めたのがアメリカ人監督サイ・エンドフィールドで、「君はコックニーには見えない」「むしろ上流階級の将校に見える。それをやれるか」と言われた。後年のBBCインタビューでのケイン本人の回想である(Gold Radio経由)。こうして彼は上流階級の将校ゴンヴィル・ブロムヘッド中尉を演じることになった。同じ回想でケインは「映画スターになれたのは、サイが英国人ではなくアメリカ人の監督だったおかげだ」と語り、別の場では「英国人監督なら誰一人、私を将校には配役しなかった、断言する」とも述べている(Wikipedia)。階級と発音がキャスティングを決める英国映画界で、その慣行を前提にしないアメリカ人監督だから起きた配役だった。ケインの二つの発言を、私はそう読む。
そして1966年「アルフィー」で、彼はカメラに直接語りかける手法でロンドンの女たらしを演じ、初のアカデミー主演男優賞ノミネートを得る。彼は労働者階級のコックニー訛りを矯正しなかった。当時は容認発音(RP)が映画俳優に義務的とされた時代だが、2007年のCNN「The Screening Room」(Wikipedia経由)で彼はこう語っている。「他の労働者階級の少年たちに、自分が成功できたなら彼らにもできると知らせるために、コックニー訛りを保った」。矯正の対象だったはずの訛りが、そのまま彼を見分ける特徴になった。
— 02「映画演技」の方法論 — 片目・無瞬き・静止
ケインは、映画演技を自ら体系化して教則本にした数少ない俳優である。著書『Acting in Film』(1990、BBCのマスタークラスが基)の要点をNo Film Schoolがまとめている。彼は舞台演技と映画演技を「メスによる手術と、レーザーによる手術」と対比し、映画では動作を縮小しつつ強度を保つ「抑制」を説く。ケインが挙げる手順は四つある。
- クロースアップでは相手役の「カメラに近い側の片目」だけを見て、視線を左右に泳がせない。 泳がせると「うろたえて見える」。
- 話す間は瞬きしない。 瞬きは弱さに見え、瞬かず話し続けると聞き手が内容に集中し「強い人物」に見える。ケインは瞬きを止める訓練に数年を費やしたという。
- 静止(stillness)そのものが演技。 カメラは内面の思考を捉えるので、動かない方が強い。「長年かけて、やることを減らすほど演技が強くなると学んだ」。
- 映画演技の大半はリアクションと傾聴であり、リラックスである。 「自分を痛めつけているなら、やり方が間違っている」(Backstage)。
この方法論が結晶したのが「サイダーハウス・ルール」(1999)のラーチ医師だ。孤児院の少年たちに毎晩「おやすみ、メイン州の王子たち、ニュー・イングランドの王様たち(Goodnight, you princes of Maine, you kings of New England)」と語りかける場面で、ケインは少し皮肉を含んだ低い声で、しかし子どもたちには優しく聞こえるように発音する(台詞はIMDbに採録)。音量を上げずに二つの調子を同じ声に載せるやり方は、動作を縮小して強度を保つ手順を声に移したものだと私は見ている。ロジャー・イーバートは後年、「クワイエット・アメリカン」(2002)のケインを「完成された形で降りてくるような演技。技巧がなく、余分なエネルギーがなく、トリックがなく、努力がない」と評した(Roger Ebert)。
— 03「悪い映画でも全力」— 職人の割り切りと戦略
ケインは60年以上、1950年代から2020年代にかけて130本を超える映画に出た(データベースにより160本超とも数える)多作な俳優である。本数を積むこのキャリアには、明確な戦略があった。本人は役の選び方について、まず偉大な役を狙い、来なければ凡庸な役、それも来なければ家賃を払うための役、という優先順位を繰り返し語っている。失敗作への備えも具体的だ。英サンデー・タイムズ紙のインタビューでは「『スウォーム』のような映画を撮ったら、公開前にすぐ3本撮る。だから常に失敗を生き延びられた——ヒットがあったから」と述べている(The Week経由)。
この割り切りが分かりやすく出ているのが「ジョーズ87 復讐篇」(1987)だ。批評家スコアはRotten Tomatoesで0%。ケインはこの映画を「生涯一度も観ていない」と公言し、こう笑い飛ばした。「映画は観ていないが、聞くところによればひどいらしい。しかしそれが建てた家は観た。素晴らしいよ」(Collider/引用の言い回しには複数の版がある)。皮肉なことに、彼が「ジョーズ87」をバハマで撮影していたその同時期、彼は「ハンナとその姉妹」(1986)で初のアカデミー助演男優賞に選ばれていた。授賞式に出席できなかったのは、この最低評価作の撮影中だったからだ。
— 0460年キャリア英国俳優の比較 — 長距離走の二型
60年を超える現役期間を持つ英国俳優として、ケインと並ぶのは、ジュディ・デンチ(1934年生)、イアン・マッケラン(1939年生)、アンソニー・ホプキンス(1937年生)、デレク・ジャコビ(1938年生)といった面々だ。いずれも舞台の古典劇出身の系譜に属する。
ケインが彼らと分かれるのは、発音を整える教育を受けなかったという出発点にある。マッケランとジャコビはケンブリッジ大学、ホプキンスは王立ウェールズ音楽演劇大学からRADA(王立演劇学校)へ進み、いずれも発音を整えてシェイクスピア俳優として地位を確立した。ケインは正規の演劇学校に行かず、コックニー訛りを保ったまま、古典劇ではなく同時代を舞台にした映画の中央に居続けた。1960年代英国のキッチンシンク・リアリズム(労働者階級の日常をそのまま撮る潮流)の中で、眼鏡をかけ土着の訛りで話す労働者階級の男を演じ、上流の二枚目という主役の型から外れた。
受賞の型も対照的だ。ケインはアカデミー演技賞に6度ノミネートされたが、主演(アルフィー1966、スルース1972、教育リタ1983、クワイエット・アメリカン2002)では一度も勝てず、助演で2勝している(受賞歴の一覧はWikipedia)。ホプキンスは主演男優賞を1992年と2021年の授賞式で29年を隔てて二度、ケインは助演男優賞を1987年(「ハンナ」)と2000年(「サイダーハウス」)の授賞式で13年を隔てて二度受賞した。どちらも60年を超えて現役だが、頂点の取り方は主演と助演で分かれる。
— 05ノーラン作品での役割と引退
2005年、クリストファー・ノーラン監督「バットマン ビギンズ」の執事アルフレッド・ペニーワース役で、ケインは新たな観客と出会う。当時72歳。主役の脇に立って場面を支える役だった。「ダークナイト」(2008)、「ダークナイト ライジング」(2012)と進むにつれ、彼の出番は短くなる。それでも静止と抑制の手順はそのまま出ている、と私は見ている。
同じ三部作でスケアクロウ役を演じたキリアン・マーフィーは、主人公を追い詰める側の冷たさを担った。ケインのアルフレッドは、主人公を支える側にいる。三部作の中で、マーフィーの「引く演技」とケインの職人技は、同じ抑えた芝居でも向きが逆になる。
ノーランとの協働は三部作で終わらなかった。「プレステージ」(2006)、「インセプション」(2010)のスティーヴン・マイルズ教授、「インターステラー」(2014)のブランド教授、「ダンケルク」(2017、声のみ)、「テネット」(2020)のサー・マイケル・クロスビーと、ノーラン作品ほぼ全てに登場した。
2023年10月、90歳のケインは英国映画「グレート・エスケーパー」で主演を務め、BBC Radio 4のマーサ・カーニーとのインタビューで引退を表明した。「今の私が得られそうな役は、老人役、90歳の老人役だけだ。まあ85歳くらいまではあるかもしれないが。だったら、この作品で去った方がいい。素晴らしい評価をもらった。これ以上、何をして超えられる?」(ABC News)。引退後、彼は自伝ではなく初の小説を書いた。犯罪スリラー『Deadly Game』(2023)で、ロンドン警視庁の刑事が、イースト・ロンドンのゴミ捨て場で見つかったウラニウムをめぐる強奪事件を追う物語である(Military.com)。
— 06代表作の観る順 — 入門から頂点まで
出演作が多く、出来のばらつきも大きいので、最初の一本を選びにくい。英国映画協会(BFI)が選ぶ必見10本を骨格に、入門と頂点と晩年の3層に分けて並べる(配信状況は変動するため各サービスで要確認)。
入門は、役の造形が明快で技が見えやすい3本。「アルフィー」(1966、カメラ目線と、矯正しない訛り。出発点そのものが見える)/「国際諜報局(The Ipcress File)」(1965、眼鏡をかけ料理をする「007のアンチテーゼ」の労働者階級スパイ。ハリウッドは最初の撮影分を見て「眼鏡を外せ」と要求したほど型破りだった)/「ゲット・カーター」(1971、ケイン自身が主人公を「マイケル・ケインの亡霊」、つまり自分の労働者階級の裏面と呼んだ)。以上3本の選定と逸話はBFIによる。
頂点は、演技の質そのものを観る3本。「探偵スルース」(1972、ローレンス・オリヴィエとの二人芝居で、二人とも主演男優賞にノミネートされた稀有な例)/「王になろうとした男」(1975、ショーン・コネリー共演。ケインが「自分の死後も残る唯一の作品」と評した)/「サイダーハウス・ルール」(1999、皮肉と優しさが同じ声に同居する)。「片目、無瞬き、静止」という三つの手順を思い出しながら、目元と間に注目して観ると技が見える。
晩年は、「ハリー・ブラウン」(2009、生まれ故郷イーストエンドを舞台に新世代のファンを獲得)/「クワイエット・アメリカン」(2002、イーバートが「努力がない」と評した演技)/ノーランのアルフレッド三部作。若い俳優と組みながら、画面を静かに支える側に回った時期にあたる。