アカデミー主演男優賞は、映画賞の中で最も古い継続的な記録の一つである。1929年5月16日、ハリウッドのルーズベルト・ホテルで開催された第1回アカデミー賞授賞式から、2024年のキリアン・マーフィーまで、98年の歴史を一本の線として描くことができる。
その線は、当然ながら均質ではない。本稿は、98年の歴史の中で特に大きな節目となった4つの転換点を選び、それぞれを担った俳優の仕事を通じて、主演男優賞の系譜を順に読み解いていく。
— 01歴代受賞者の4つの転換点を結ぶ系譜
1964年:シドニー・ポワチエ、最初の黒人受賞
1964年4月13日、第36回アカデミー賞授賞式でシドニー・ポワチエは「野のユリ(Lilies of the Field)」によって主演男優賞を獲得した。黒人男優として初の主演男優賞は、公民権法成立(1964年7月)の3ヶ月前という時期に、ハリウッドの賞史において一つの境界線を画した出来事だった。プレゼンターはアン・バンクロフトで、ノミネートはアルバート・フィニー(トム・ジョーンズの華麗な冒険)、リチャード・ハリス(孤独の報酬)、レックス・ハリソン(クレオパトラ)、ポール・ニューマン(ハッド)と競合した。(出典:HISTORY.com - Sidney Poitier becomes first African American to win Best Actor Oscar)
ポワチエのこの受賞から、次の黒人主演男優賞受賞までには38年の間隔が空く。2002年第74回アカデミー賞でデンゼル・ワシントンが「トレーニング デイ」で受賞するまで、主演男優賞は再び白人俳優の独占枠に戻っていた。同じ授賞式でポワチエがアカデミー名誉賞を受賞しており、二つの世代の象徴的なバトンタッチがそこで成立した。
1973年:マーロン・ブランド、受賞拒否
1973年3月27日、第45回アカデミー賞授賞式でマーロン・ブランドは「ゴッドファーザー」によって主演男優賞に選ばれた。しかしブランドは授賞式に出席せず、代わりに先住民権利活動家サチーン・リトルフェザーを壇上に送り、ハリウッドが先住民を扱う方法への抗議とウーンデッド・ニーでの占拠運動への支援を声明として読み上げさせて受賞そのものを拒否した。(出典:HISTORY.com - Marlon Brando declines Best Actor Oscar)
この行動は、アカデミー賞の歴史で最も政治的に注目された授賞式となり、ハリウッドにおける先住民の表象に対する議論を半世紀以上にわたって続けるきっかけになった。2022年にアカデミーがリトルフェザー本人に当時の対応について謝罪したことは、彼女の発言が50年遅れて公的に正当化された出来事として記録された。
2013年:ダニエル・デイ=ルイス、史上最多3度受賞
2013年2月24日、第85回アカデミー賞授賞式でダニエル・デイ=ルイスが「リンカーン」によって3度目の主演男優賞を受賞した。1989年「マイ・レフトフット」、2007年「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」、2012年「リンカーン」——男優として歴代最多の3度受賞は、98年の主演男優賞史で唯一の記録として、現在も彼だけが保持している。(出典:Daniel Day-Lewis - Wikipedia)
デイ=ルイスのキャリアの特徴は、出演作の少なさと、一作にかける準備期間の長さである。3度の受賞は、彼の「役を選ぶ」選択そのものが映画賞史を書き換えた事例として記憶される。2017年に「ファントム・スレッド」を最後に俳優業からの引退を表明している。
2021年:アンソニー・ホプキンス、最高齢受賞
2021年4月25日、第93回アカデミー賞授賞式でアンソニー・ホプキンスが「ファーザー」によって2度目の主演男優賞を受賞した。83歳の彼は、演技4部門全体での最高齢受賞者となった——それまでの記録は2011年「人生はビギナーズ」で助演男優賞を獲得した82歳のクリストファー・プラマーだったが、ホプキンスはこれを更新した。前回の受賞(「羊たちの沈黙」、1992年授賞式・作品公開は1991年)から29年ぶりの二度目だった。(出典:Deadline - Anthony Hopkins Wins At The 2021 Oscars For Best Actor, Oldest Ever)
ホプキンスの2度目の受賞は、新型コロナ禍で再構成された変則的な授賞式で行われた。本人は授賞式に出席せず、プレゼンターのホアキン・フェニックスが受賞を読み上げてアカデミーが代理受領する形となり、ホプキンス自身はウェールズで隔離中に眠っていたという。「Best Actor」が映画賞の伝統的な「30〜50代男優の場」だったところに、「80代でも主役級として競争できる」という新しい先例を追加した瞬間でもある。
— 02賞の政治と俳優の身体
これら4つの転換点を見渡すと、主演男優賞の98年の歴史は、ハリウッドが内部に抱える政治と、俳優のキャリアの形が、賞という形で表面化してきた記録として読める。
ポワチエの1964年受賞は、ハリウッドが黒人俳優に主役を担わせることを公式に認めた最初の瞬間。ブランドの1973年受賞拒否は、俳優が賞を受け取ることそのものを政治的発言として使う最初の前例。デイ=ルイスの2013年3度目受賞は、商業大作中心の枠組みの中で「選ばれた数少ない作品でしか出ない俳優」が最大数の賞を獲得した記録。ホプキンスの2021年最高齢受賞は、俳優の高齢化と作品の多様化が、賞のあり方そのものを更新した事例。
各転換点は、その俳優個人の偉業であると同時に、その時代のハリウッドの内部矛盾——人種、政治、商業性、年齢——が表出する場でもあった。アカデミー賞は単なる技能評価ではなく、その瞬間のハリウッドが「誰の身体を主役として認めるか」を決定する政治的舞台として機能してきた——4つの事例を並べると、その構造が改めて浮かび上がる。
— 03最年少受賞・最多無冠ノミネートと日本人俳優の記録
4つの転換点とは別に、主演男優賞98年の歴史には数値で記録される「両極端」が存在する。
最年少受賞者はエイドリアン・ブロディで、2003年第75回授賞式で「戦場のピアニスト」により29歳で受賞した。それまでの最年少記録(リチャード・ドレイファス、1978年「グッバイガール」で30歳)を更新した数字は、その後22年経った2025年現在も破られていない。2025年第97回でブロディは「ブルータリスト」で2度目の主演男優賞を獲得しており、最年少初受賞と2度目の受賞という両方の側で名前を残している。
最高齢受賞者の更新は本稿01節で扱ったアンソニー・ホプキンス(2021年「ファーザー」で83歳)だが、その記録は彼自身が3年後2024年に「One Life」での主演でさらに次の節目候補に挙がっていた段階で、第96回授賞式はキリアン・マーフィーが受賞した形となった。
最多ノミネートながら無冠だった俳優は、ピーター・オトゥールが代表例である。「アラビアのロレンス」(1962)、「ベケット」(1964)、「冬のライオン」(1968)、「グッバイ・ミスター・チップス」(1969)、「ルーリング・クラス」(1972)、「Stunt Man」(1980)、「マイ・フェイヴァリット・イヤー」(1982)、「Venus」(2006)の8度ノミネートでいずれも受賞に届かず。2003年にアカデミー名誉賞を受賞して制度的にこの記録に区切りがついた。次点はリチャード・バートン(7度ノミネート無冠)、グレン・クローズ(主演4度・助演4度の計8度ノミネート無冠で、2024年現在オトゥールと並ぶ演技部門で最多級の無冠記録)。
レオナルド・ディカプリオは2016年「レヴェナント」での受賞前に主演4度・助演1度(計5回)のノミネートを経ており、6度目で初受賞という遅さは、若手で5回ノミネートを重ねた俳優としては最も長い「ノミネート→初受賞」までの距離だった。
日本人俳優と主演男優賞
「日本人の主演男優賞受賞者は誰か」という検索需要は根強いが、結論から言えば、第1回(1929年)から第96回(2024年)までの98年間で、日本人(日本生まれ)の男優が主演男優賞を受賞した例はなく、ノミネートされた例も一度もない(List of Academy Award winners and nominees from Japan — Wikipedia)。日本人男優が演技部門で名前を残したのはいずれも助演男優賞のノミネートで、早川雪洲(「戦場にかける橋」第30回・1958年)、マコ岩松(「砲艦サンパブロ」第39回・1967年)、渡辺謙(「ラスト サムライ」第76回・2004年)の3人がいるが、受賞には至っていない。日本生まれで初めてアカデミー演技賞を受賞したのは、助演女優賞のミヨシ・ウメキ(「サヨナラ」第30回・1958年)で、アジア系俳優として初の演技賞受賞者でもある。主演男優賞という枠に限れば、日本人俳優にとってはいまだ前人未踏の領域である。
観客側から見える「数値記録」の意味
転換点を担った4人(ポワチエ・ブランド・デイ=ルイス・ホプキンス)が「最初」「拒否」「最多」「最高齢」というカテゴリーで主演男優賞史を更新したのに対し、本節で扱った5人(ブロディ・オトゥール・バートン・ディカプリオ・クローズ)は「最年少」「最多無冠」「最も遅い初受賞」という別の数値軸で歴史に名前を残している。両者は主演男優賞という同じ枠の中で、ハリウッドが俳優に与える評価の「ピーク到達のタイミング」を、世代と年齢の両端で記録する事例として並んで読まれるべきものである。
— 04マーフィーが立つ場所
2024年3月10日、第96回アカデミー賞授賞式でキリアン・マーフィーが「オッペンハイマー」によって主演男優賞を獲得した。アイルランド共和国生まれの俳優として、主演男優賞を受賞した史上初の事例となる(1944年「我が道を往く」でバリー・フィッツジェラルドが助演男優賞を獲得しているが、主演男優賞ではアイルランド生まれの受賞者は前例がない)。アイルランドにルーツを持つ俳優の系譜という広い枠で見れば、英国生まれだが1993年にアイルランド国籍を取得したダニエル・デイ=ルイスが3度の主演男優賞を獲得しており、マーフィーはその系譜の延長線に立つ受賞者と位置づけられる。(出典:The Irish Times - Cillian Murphy wins best actor)
マーフィーが立つ場所は、98年の主演男優賞史の延長線上にある。ポワチエが切り拓き、ブランドが政治化し、デイ=ルイスが量で更新し、ホプキンスが年齢で広げてきた賞の枠組み——その上に、第96回授賞式の舞台に47歳のアイルランド人俳優が立った。「ピーキー・ブラインダーズ」で10年間培った演技をクリストファー・ノーランが大作スケールに乗せた仕事は、英語圏外のヨーロッパ出身俳優が、ハリウッド大作の主役としてアカデミーの頂点に立つ事例の一つとして記録された。
アイルランド人俳優の現在地の文脈で見れば、マーフィーは第三世代の代表として、ガブリエル・バーンが切り拓き、コリン・ファレルが定着させた道筋の延長線上に到達した。しかし主演男優賞史の文脈で見れば、彼は98年の歴史の中で、ハリウッドの中心位置がさらに国際化したことを記録する一人として、未来の映画史教科書に名前を残すだろう。
第97回アカデミー賞(2025年3月)の主演男優賞は、エイドリアン・ブロディが「ブルータリスト」で受賞し、再び欧州系移民の物語を演じる俳優の手に渡った。第98回(2026年3月)以降の歴史は、まだ書かれていない。マーフィーの立つ場所はその一年だけの位置ではなく、98年の系譜の中で、次の世代の俳優が参照する一つの目印になるはずだ。