プロフィール
| 本名 | Daniel Michael Blake Day-Lewis |
|---|---|
| 生年月日 | 1957年4月29日 |
| 出身地 | イギリス・ロンドン(アイルランド国籍も保持) |
| カテゴリ | 俳優 |
| デビュー | 1971年(映画「サンデー・ブラッディ・サンデー」端役) |
「マイ・レフトフット」の撮影前、ダニエル・デイ=ルイスはダブリンの脳性麻痺者向けクリニックで約8週間を過ごした。役の準備としてこの種の時間を払うことを、彼は30年にわたって繰り返してきた。アカデミー主演男優賞を3度受賞した男優は、彼ひとりである。主演男優賞の歴史を見渡しても3度は突出している。黒人男優として初めて主演男優賞を受けたシドニー・ポワチエの一度が歴史の節目として残るのに対し、デイ=ルイスの記録は回数そのものにある。
彼の「究極のメソッド」と呼ばれる仕事は、役ごとに身体と声と生活史を物理的に組み立てる方法論として読み直せる。役を外側から設計して着脱するトム・ハーディの「外面派」の、ちょうど対極にある俳優である。
その方法論は、作品選択の希少性と不可分だ。1989年以降の長編主演はごく限られ、彼は「私はリズムが遅い。怠惰なほどに。他人のリズムには合わせられない」と語る(Britannica)。一本ごとに数か月から数年をかけて役に沈み込むため、出演作そのものが「事件」になる。
— 01詩人の息子と「演じ分け」— 1985年の二つの青年
桂冠詩人セシル・デイ=ルイスの息子として1957年に生まれ、国立青少年劇場で頭角を現したのち、家具職人の5年見習いに応募して経験不足で断られ、ブリストル・オールド・ヴィック演劇学校に3年通った(同期にミランダ・リチャードソン)。彼の「演じ分け」の幅は、1985年公開の二本を並べると分かる。
スティーヴン・フリアーズ「マイ・ビューティフル・ランドレット」(1985)のジョニーは、ロンドンの労働者階級のパンクなゲイの青年。一方、ジェームズ・アイヴォリー「眺めのいい部屋」(1985年英国、1986年米国)のセシル・ヴァイスは、感情を抑圧したエドワード朝の堅苦しい上流青年である。同じ年に公開された二本で、観客が同一俳優だと気づかないほど別人を演じた。後年の「役ごとに人格を組み立て直す」方法論の原型がここにある(Daniel Day-Lewis — Wikipedia)。
— 02没入の方法論 — 役ごとに「何を組み立てたか」
デイ=ルイスの準備は「役になりきる」という曖昧な言葉で語られがちだが、実際には役ごとに何を物理的に組み立てたかが明確に異なる。
「マイ・レフトフット」と「父の祈りを」で組み立てたのは、身体そのものである。脳性麻痺の画家クリスティ・ブラウンを演じた「マイ・レフトフット」(1989)では、撮影前にダブリンのサンディマウント・スクール・クリニックで約8週間を過ごし、左足で描き、タイプすることを習得した。撮影中は車椅子から降りず、スタッフに移動させ、障害物を越えさせ、食事を口元まで運ばせた。前傾姿勢を続けた結果、肋骨を痛めたと報じられる(My Left Foot — Wikipedia)。「父の祈りを」(1993、ジム・シェリダン監督)では冤罪で収監されるジェリー・コンロンのため約23kgを減量し、独房で3日を過ごし、係員に夜通し10分おきにブリキのカップでドアを叩かせて睡眠を妨害させ、実在の特別部門(Special Branch)の担当者に9時間尋問させた。理由を彼は「そうしなければ、無実の男がどうやって自白書に署名し、自分の人生を壊せるのかを理解できなかった」と説明している(Daniel Day-Lewis — Wikipedia)。
「ラスト・オブ・モヒカン」と「ギャング・オブ・ニューヨーク」で組み立てたのは、役が使う技術である。「ラスト・オブ・モヒカン」(1992、マイケル・マン監督)では約1か月を荒野で暮らし、狩り、追跡、皮剥ぎ、カヌー製作、トマホーク戦闘、そして全力疾走しながらフリントロック銃を装填して発砲する技術を習得した。Wikipediaによれば、鹿の足跡から通過後の経過時間を判別できるまでになったという。「ギャング・オブ・ニューヨーク」(2002、スコセッシ監督)のビル・ザ・ブッチャーでは、実際の肉屋で枝肉の処理を学び、サーカスの芸人にナイフ投げを習った。1862年当時の素材だけで作られたコートが薄く、肺炎に罹患した。それでも役の時代に近代医療は存在しないという理由で、当初は治療を拒んだと/Filmは伝えている。
引退作「ファントム・スレッド」(2017)で修めたのは、手仕事そのものだった。Quartzによれば、仕立て屋役のために約1年間ニューヨーク・シティ・バレエの衣装ディレクター、マーク・ハッペルの下で見習いを務め、バレエ「火の鳥」の衣装制作を手伝った。仕上げに、妻で映画監督のレベッカ・ミラーをモデルに、バレンシアガのシースドレスを一から再製作してから撮影に臨んでいる。
三つの準備に共通するのは、「観客に見せる」ためではなく、「その人物として自由に反応できる身体を用意する」ためだという点である。
— 03「声の設計」とその受容 — プレインヴューとリンカーン
役ごとに一から作る「声」に、デイ=ルイスの準備は最もはっきり表れる。その声はしばしば批評の争点になった。
「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」(2007)のダニエル・プレインヴューの声について、監督ポール・トーマス・アンダーソンは19世紀末〜1927年の録音群と、ジョン・ヒューストンが監督した映画を参照素材として渡した。デイ=ルイスはヒューストンの録音を多数聴いたが、「ヒューストンをモデルにした」という言い方は本人が否定し、あくまで参照だと述べている。ロジャー・イーバートはこの声を「油と軟骨とシロップで出来た声。深く安心させ、絶対的に自信に満ち、そして奇妙に詐欺的だ。これほど率直に響く声の持ち主が、嘘つきでないはずがない」と評した(Roger Ebert)。終盤のボウリング場の場面で、彼は笑い、怒鳴り、呟きを行き来しながら声の重心を一度も崩さない。声が神秘的な憑依ではなく、物理的に設計された人工物であることが、この一場面に凝縮されている。
対照的なのが「リンカーン」(2012)だ。肖像画から連想されるのは朗々とした低音だが、デイ=ルイスが選んだのは高く細いテノールだった。これは思いつきではなく、史料に基づく選択である。同時代のジャーナリスト、ホレス・ホワイトはリンカーンの声を「薄いテノール、というよりファルセット、水夫の笛のように高い」と記録しており、リンカーン研究者ハロルド・ホルツァーも「高くやや甲高い声が群衆に美しく届いた」と裏づける。デイ=ルイス自身、「高音域の方が遠くまで届くため、演説時により多くの人々に届いたと考えた」と説明している(Chicago Magazine)。公開当初、Time誌は「thin, reedy(細く甲高い)」、CBSは「scratchy(かすれた)」と評し賛否が割れたが、歴史家の擁護によって「むしろ史実に忠実」と評価が反転した(CBS News)。プレインヴューでは声が絶賛され、リンカーンでは酷評から史実擁護へ評価が動いた。どちらの作品でも、声そのものが批評の争点になっている。私が二作から読み取るのは、声を作り込むほど、その声が演技の評価を引き受けるということだ。
— 04没入は現場破壊ではない — 外面派ハーディとの対比
「メソッド俳優=現場を乱す厄介な存在」というイメージは、近年しばしばデイ=ルイスに投影されてきた。だが実際には、彼の没入は「静かな職人技」であって「現場破壊」ではない。これは批判する側の口からも裏づけられる。
メソッド演技批判の急先鋒として知られるブライアン・コックスですら、デイ=ルイスだけは例外として肯定的に区別している。コックスは彼を「discreet(控えめ)」で「撮影プロセスを決して乱さない」と評した(Variety)。デイ=ルイス自身も2025年、自分の方法論が神話として語られることに反論している。第69回BFIロンドン映画祭のスクリーントークでは、近年のメソッド演技論を「それが実際に何を伴うかをほとんど理解していない人々」からのものだと述べ、似非科学やカルトの一種のように扱われることを否定した。彼にとって没入は「ただ自分を解放する手段」であり、カメラの前で同僚と向き合うその瞬間に、動かされるまま応答できる状態を作るためのものだという(Variety)。没入とは実人生を締め出すことではなく、自己完結した経験の中で自由に反応するための技術だ、というのが本人の定義である。
「ギャング・オブ・ニューヨーク」については、本人が後に行き過ぎだったと認めている。そこで損なわれたのは彼自身の健康だった(前述の肺炎と治療拒否)。私はこの一件を、彼の没入がどこへ負荷をかけるかを示すものとして読んでいる。
トム・ハーディは声も体型も外から逆算して設計し、撮影後に脱ぐ(外面派カメレオン)。デイ=ルイスは役の生活史そのものを内側から生き、身体に沈める。二人とも「役ごとに声を作る」点は共通だが、方向がちょうど逆で、design(設計)と immersion(没入)の両極に立つ。
— 05代表作の観る順 — 入口から到達点まで
デイ=ルイスを初めて観る人に向けて、入りやすい順に並べる。一本ごとに批評家スコア(Rotten Tomatoes)と、そこで彼の何が見えるかを添える。配信状況は権利移動で変動するため、各サービスの検索窓で作品名を確認してほしい(数値は執筆時点)。
入口は、大作かつ高評価の「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」(2007・RT91%)か「リンカーン」(2012・RT90%)。前者は前掲のボウリング場の声、後者は「期待を裏切る高い声」を、いずれも設計の産物として体感できる。
次は、娯楽性のある「ラスト・オブ・モヒカン」(1992・RT88%)と「ギャング・オブ・ニューヨーク」(2002・RT72%)。走りながらの装填やナイフ投げなど、「実地で習得した技術」がそのまま画面に出る。
抑制の側から一本挟むなら、私は「エイジ・オブ・イノセンス」(1993・RT88%、スコセッシ)を薦める。肉体改造も過激さもなく、感情の決壊を一度も見せずに渇望を隠す。「没入=外向きの過激さ」という戯画への反証になる。
到達点は「マイ・レフトフット」(1989・RT98%)。ここまで挙げた中では批評家支持率が最も高い。障害の描写が続くので観るには構えがいる。前掲の身体の準備が批評に受け入れられた原点である。
締めは、引退作「ファントム・スレッド」(2017・RT91%)から復帰作「Anemone」(2025)へ。「暴力的な資本家(プレインヴュー)→繊細な芸術家(仕立て屋)」を同じアンダーソン監督下で見比べられる。
— 06引退とAnemone(アネモネ)での復帰
2017年、デイ=ルイスは引退を表明した。W誌のインタビューで彼は、声明を出すのは自分らしくないと知りつつ「線を引きたかった。別のプロジェクトに引き戻されたくなかった」と語り、「辞めたいという衝動が根を張り、それが強迫になった」と明かした。「ファントム・スレッド」制作の過程で「二人(自分と監督)とも悲しみの感覚に圧倒された。自分たちが生み出したものに驚いた」とも述べている(W Magazine)。ただし本人は後年(2025年、「Anemone」をめぐるインタビュー)、この「引退表明」について「本当に引退するつもりはなかった」と振り返っており、当時の声明を大げさだったと位置づけ直している(Deadline)。
8年の沈黙を破った復帰作「Anemone」(2025)は、私的なプロジェクトだった。監督は息子ローナン・デイ=ルイスの長編デビューで、脚本は父子の共同執筆。デイ=ルイスはイングランド北東部の森の小屋で余生を送る従軍経験者レイを演じ、ショーン・ビーン演じる兄弟ジェムが家族の再会を促す(サマンサ・モートンはレイのかつてのパートナー、現在はジェムの妻ネッサ役)。北アイルランド紛争後の暴力の残響と世代間トラウマを扱う主題は、彼が1993年に取得したアイルランド国籍や、シェリダン監督との紛争関連作(「父の祈りを」等)と重なる。批評は割れた。Rotten Tomatoes批評家支持率は52%で、称賛(テレグラフ「記憶の通りの驚異」)と酷評(Variety「乾いて気取った、ドラマの足りない映画」)が明確に分かれた(Rotten Tomatoes)。
— 07基本データ — 身長・靴職人・アイルランド国籍
- 本名は Daniel Michael Blake Day-Lewis。1957年4月29日、ロンドン生まれで、桂冠詩人セシル・デイ=ルイスの息子。2014年にナイト爵を叙勲した。
- 国籍はイギリス。父がアイルランド出身だったこともあり、1993年にアイルランド国籍を取得している(イギリスとアイルランドの二重国籍)。
- 靴職人への弟子入りは「ボクサー」(1997)の後。俳優業から距離を置いた時期に、フィレンツェの靴職人ステファノ・ベメールに弟子入りした(1999〜2000年ごろ、約8〜10か月とされる)。役作りではなく私的な選択で、2002年「ギャング・オブ・ニューヨーク」で復帰するまで約3年のブランクがあった。
- 身長は各種データベースの掲載値で約186cmとされることが多いが、本人や所属側による公式計測値は確認できない(参考値)。
- SNSは、本人名義の公式アカウントが確認できない。私生活を表に出さないことで知られる(息子で監督のローナン・デイ=ルイスとは別人物)。